きょうの青森旅。
ふとした思い付きから、
リベンジの旅を決意しました。
目的地は、
津軽藩発祥の地「種里城址」です。
1491年、延徳3年、
南部(大浦)光信が、鼻和郡を与えられ、
津軽西浜種里に入りました。
この大浦光信が祖となり、
津軽大浦家としての家系が始まるため、
光信が津軽地方に入り、最初に城を築いた、
「種里城」が、津軽藩発祥の地とされています。
ちなみに、津軽を統一し、津軽氏を名乗ったのが、
津軽藩祖の津軽為信。
為信は、光信を初代とする大浦家の五代目に当たります。
なぜ、この旅が「リベンジの旅」なのか…?
と、いいますのは、
7~8年前になるかと思いますが、
この土地を訪ねた際に、
ちょっと恐い思いをしたのであります。
写真に、変な画像が写り込んだと思ったら、
突然、カメラの電源が入らなくなってしまいました。
光信公のお墓の前で。
当時は、杉の大木が鬱蒼と茂る谷底にありまして、
そこに下る前から、羽虫がたかってきて、
まるで、行く手をはばまれているようでした。
その後、2度ほど、行っているのですが、
ハチの大群に車を囲まれ、出られなくなったり…で、
結局、きょうまで、お墓参りは、できていなかったのであります。
向かいましたよぉ。
青森県の日本海側、南の方、
鯵ヶ沢町(あじがさわまち)の旧道の方を通り、
国道101号線と合流する直前を山手側の道に入ります。
昔っぽい山里の風景を楽しみながら進みますと、
やがて赤石川が見えてきます。

そこからは、赤石川に沿って、
世界遺産の白神山地方向に進んでいきます。
ここら辺りは、気持ちがいいですよぉ。
鳥の鳴き声と川の音しか、しなかったりして。
でも、時々は、車通りもあり、
民家も点在しておりますので、
心細い感じはありません。
着きました。

「種里城址」
山城で、当時の建物は、もちろん残ってはいません。
山の上には、
牡丹園と、その向こうには、「光信公の館」があります。

光信公の像も。

建物の後が、本丸跡。
これらは、おそらく、ここ数年の間に、
建てられたものだと思います。
目的の光信公の御廟所、お墓は、
さらに、この奥。

山を下った、谷底にあります。
石灯籠の前で、まず一礼。
失礼があっちゃいけません。
下りの石段は、整備されていました。

かなり急ですが、
危険は感じません。
それに、以前来た時よりも、明るい。
鬱蒼としていた杉林を伐採して、
陽の光が入るようにしたのでしょう。
良かった。
なんだか、ほっとしました。
そのせいか、きょうは、
全然、恐怖感はありませんでしたよぉ。
「光信公御廟所」です。

お賽銭を上げ、拝みました。
傍らにある、重臣のお墓にも参拝。
なんだか、昔の非礼を許されたように感じましたよぉ。
これからは、安心してお参りできる場所になりました☆

よかった☆

ほっ☆
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