古城址・高楯城址【青森旅】
- 2015/09/21
- 21:00
先週木曜の青森旅。
「恐怖の森」をパスして、
五所川原市に入りました。
行くあてはありません。
ふと道の脇を見ると、
「←高楯城跡」という標識が目に入りました。
高楯城跡。行ったことはありません。
行ってみることにしました。
わたしの車にナビはついていません。
道路地図には、
そもそも「高楯城跡」自体、記載がありませんでした。
途中、人に道を尋ねたりして探しましたが、
迷いました。
屯所のY字路に木標があるのを見落としていました。

この木標のY字路を左に入ります。
ここは、この前にも一度通っていた道で、
細道で、駐車場所がみつけられなかったので、
車は、木標の前の空きスペースに停め、
歩いて、向かうことにしました。
車で一度通った時は、
それらしい所は、みつからず、
「妙龍寺」というお寺さんがあり、
もしかしたら、このお寺さんが城跡なのか…
…と思いまして、パシャッ☆写真撮影。

恐る恐る、山門をくぐりますと、
お寺の人とおぼしきお姉さんと目が合いました。
怪しい者ではありませんよぉ…
…ということで、
その40~50代のお姉さんに、
城跡の場所をきいてみることにしました。
そうしましたら、このお寺さんは、
城跡ではありませんで…
城跡は、お寺さんの裏手の山の中にあり、
山の奥に入って迷わないように、
念入りに説明してもらいました。
お寺さんの脇道を徒歩で登ります。
車は、停めて来て、正解でした。

わたしの車は軽なので、
途中までは、登って登れないことはなかった…
…かもしれませんが、
細道で急勾配の九十九折れの道なので。
広場みたいな場所に出て、
お城のような建物がありました。

ここが、「西の郭」
木々の間から、村が見えました。

高楯城は、朝日左衛門尉が城主と伝えられ、
築城は、1344年。かなり古い城ということになります。
で、津軽氏の祖、大浦氏に、1588年、滅ぼされたそうです。
…というのは、この旅から帰った後、
調べてわかったことで、
城跡には、説明板はあったのですが、
朽ちていて、よく読み取れませんでした。
この城は、「主郭」「西郭」「東郭」の3郭で構成されていて、
ほかの2郭は、山の奥のほうにある…ということでした。
もう少し、奥に進んでみることにしました。
少し進むと、視界が開け、
ちょっとした広場に出たのですが、
その瞬間、何者かが、バサバサバサ…と舞い上がって、
ちょっとビクつきました。
猛禽類だと思います。
ここらへんは、
猛禽類、多いんですよね。
風が強くて、木々がうねるように声を上げていて、
さらに奥に進むのがためらわれました。
怖いんですよぉ。山って。。。

奥に続く道を行きつ戻りつしまして、
ここまでせっかく来たのに、
途中で帰るのも、もったいない…
…と、意を決して、進むことにしました。

木々がザワザワして、
こわいんですよぉ。。。
また、視界が開けました。
で、気がついてみると、
風がピタッとやんでいました。
動画に撮っておけばよかった…
…と、あとで思いましたが、
おそらく地形の加減なのでしょうねぇ~
風がピタッとやんで、
ちょっと不思議な感じがしました。
ん?

よくよく見ると、
鳥居らしきモノを発見しました。
ああ、これかぁ…
先ほど、お寺のお姉さんが教えてくれた鳥居。

鳥居の下は、草が生えているのですが、
よく見ると、石段があるようでした。

おそらく訪ねる人もいないのでしょう。
もちろん、先に進んでみることにしました。
最後の石段を上ります。

視界が開けました。
ここが本丸(主郭)ということになるのでしょうか。
奥のほうには、
「高楯城址」の記念碑がありました。

しばらく、いにしえの時に思いを馳せ、
城址をしみじみと眺めていました☆
↓人気ブログランキング「青森県」…第1位です。

応援、ありがとうございました。
感謝感謝☆
「恐怖の森」をパスして、
五所川原市に入りました。
行くあてはありません。
ふと道の脇を見ると、
「←高楯城跡」という標識が目に入りました。
高楯城跡。行ったことはありません。
行ってみることにしました。
わたしの車にナビはついていません。
道路地図には、
そもそも「高楯城跡」自体、記載がありませんでした。
途中、人に道を尋ねたりして探しましたが、
迷いました。
屯所のY字路に木標があるのを見落としていました。

この木標のY字路を左に入ります。
ここは、この前にも一度通っていた道で、
細道で、駐車場所がみつけられなかったので、
車は、木標の前の空きスペースに停め、
歩いて、向かうことにしました。
車で一度通った時は、
それらしい所は、みつからず、
「妙龍寺」というお寺さんがあり、
もしかしたら、このお寺さんが城跡なのか…
…と思いまして、パシャッ☆写真撮影。

恐る恐る、山門をくぐりますと、
お寺の人とおぼしきお姉さんと目が合いました。
怪しい者ではありませんよぉ…
…ということで、
その40~50代のお姉さんに、
城跡の場所をきいてみることにしました。
そうしましたら、このお寺さんは、
城跡ではありませんで…
城跡は、お寺さんの裏手の山の中にあり、
山の奥に入って迷わないように、
念入りに説明してもらいました。
お寺さんの脇道を徒歩で登ります。
車は、停めて来て、正解でした。

わたしの車は軽なので、
途中までは、登って登れないことはなかった…
…かもしれませんが、
細道で急勾配の九十九折れの道なので。
広場みたいな場所に出て、
お城のような建物がありました。

ここが、「西の郭」
木々の間から、村が見えました。

高楯城は、朝日左衛門尉が城主と伝えられ、
築城は、1344年。かなり古い城ということになります。
で、津軽氏の祖、大浦氏に、1588年、滅ぼされたそうです。
…というのは、この旅から帰った後、
調べてわかったことで、
城跡には、説明板はあったのですが、
朽ちていて、よく読み取れませんでした。
この城は、「主郭」「西郭」「東郭」の3郭で構成されていて、
ほかの2郭は、山の奥のほうにある…ということでした。
もう少し、奥に進んでみることにしました。
少し進むと、視界が開け、
ちょっとした広場に出たのですが、
その瞬間、何者かが、バサバサバサ…と舞い上がって、
ちょっとビクつきました。
猛禽類だと思います。
ここらへんは、
猛禽類、多いんですよね。
風が強くて、木々がうねるように声を上げていて、
さらに奥に進むのがためらわれました。
怖いんですよぉ。山って。。。

奥に続く道を行きつ戻りつしまして、
ここまでせっかく来たのに、
途中で帰るのも、もったいない…
…と、意を決して、進むことにしました。

木々がザワザワして、
こわいんですよぉ。。。
また、視界が開けました。
で、気がついてみると、
風がピタッとやんでいました。
動画に撮っておけばよかった…
…と、あとで思いましたが、
おそらく地形の加減なのでしょうねぇ~
風がピタッとやんで、
ちょっと不思議な感じがしました。
ん?

よくよく見ると、
鳥居らしきモノを発見しました。
ああ、これかぁ…
先ほど、お寺のお姉さんが教えてくれた鳥居。

鳥居の下は、草が生えているのですが、
よく見ると、石段があるようでした。

おそらく訪ねる人もいないのでしょう。
もちろん、先に進んでみることにしました。
最後の石段を上ります。

視界が開けました。
ここが本丸(主郭)ということになるのでしょうか。
奥のほうには、
「高楯城址」の記念碑がありました。

しばらく、いにしえの時に思いを馳せ、
城址をしみじみと眺めていました☆
↓人気ブログランキング「青森県」…第1位です。

応援、ありがとうございました。
感謝感謝☆