ある坊やのこと
- 2022/05/30
- 21:00
NHKの朝ドラ「ちむどんどん」
イタリアンの料理人として働く暢子に、
オーナーが突然、クビ宣告をしました。
で、クビになりたくなければ、
新聞社で「坊やさん」をやって、
ある程度の評価を得られれば、
料理人に戻してやる…とね★
「坊や」とは、今はあるか、わかりませんが、
昭和時代、新聞社で、使い走りをする人、雑用係ですね。
昭和の新聞社は、パワハラの世界です。
そのヒエラルキーの最下層の仕事。
一度に、何人もの人から、
「あれ、しろ!」「これ、やれ!」
と、こき使われ、
一度に複数の用事をこなせるわけもなく、
すぐやれないことも、しばしば。
で、日に何度も怒鳴られる。
理不尽な思いもする。
そんな昭和の新聞社で、
わたしも、働いておりました。
ただ、わたしの場合は、
「坊や」ではなく、「校閲記者」として。
昼間は大学生、夜は新聞記者。
当時、働いていた新聞社にも、
坊やは、いました。
わたしは、一応、「記者」でしたので、
極端な話、自分の席に座りっぱなしで、
仕事をすることができます。
原稿、ゲラなどの受け渡しは、
坊やを呼んで、やってもらうことが可能でした。
校閲を終えると、
「おーい、3面、上がったよぉー!!」
と、坊やを呼びつけるのが、普通でした。
ただ、わたしは、基本、
坊やを呼びつけることはしませんでした。
はたで見ていても、あちこちから用事を言いつけられて、
てんやわんやしているのがわかりましたので、
自分でできるなら、自分でやる。
で、手が空いている時は、
坊や仕事もやるようにしておりました。
ちなみに、当時、わたしは、職場では、最年少です。
坊やは、ほぼ年上。
坊やの中に、わたしと同じ大学の1年先輩がいました。
大きな大学て、学部も違いましたので、
そこで働くまで、面識はありませんでした。
その先輩の坊やさんが、ある時、
仕事がひと段落したタイミングで、
わたしに、声をかけてきたんであります。
「トニー!! ちょっと、来い!!」
ものすごい剣幕なのですが、
わたしには怒られる理由がわかりませんでした。
冷たい雰囲気の廊下に連れて行かれまして、
こう、言われました。
「おまえの仕事は、何だ?」
わたしは、先輩の言っている意味がわからなくて、
戸惑っていると、
「校閲だろ!」
「おまえ、さっきから、何をやってるんだ!!」
「坊や仕事は、おまえの仕事じゃないだろ!!」
「おれの仕事をとるなよ!!」
「おれが先輩だからって、変に気を遣うことはない」
「おれを使ってくれよ」
その先輩は、早稲田大学政治経済学部です。
おそらく、新聞記者を目指していたのだと思います。
坊やをしている人の中には、
新聞記者志望の学生が、結構、いました。
そんな新聞記者志望の坊やからすれば、
大学生なのに記者として働いているわたしは、
気に食わない、妬ましい存在。
なので、坊やとは、
なかなか打ち解けられないような、
向こうから拒絶されてしまうような、
そんな感じだったと思います。
そんな中にあっても、
その先輩は、ねたむような感じはなく、
逆に、「おれを使ってくれよ」
すごい人だと思いました。
そんなことがあってから、
その先輩の働きぶりを観察してみると、
なるほど、先輩の働きぶりには、
工夫があったり、手際がよかったり、
記者に対する態度、接し方とか、
ほかの坊やとは一段レベルが違うなと思いました。
実は、そう怒られはしたのですが、
わたしも、先輩の目を盗んでは、
坊や仕事も、続けました。
その先輩がいる時は、
「○○さん!! お願いします!!」と、
ゲラの受け渡しを頼んだりしましたが、
やっぱり、先輩をアゴで使うようなことは、
わたしにとっては、
あまり居心地のいいことではありませんでした。
その先輩が働いていたのは、
おそらく半年ぐらいだったと思います。
就職活動で、いつの間にか、やめられていました。
実は、今となっては、名前も、顔も、
憶えていないのですが、
もしかしたら、今頃は、
どこぞの新聞社のお偉いさんになっているかもしれませんね☆
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